のべたら
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隠す | i a i / 居相 - Earth clothes - Based in mountain village / Japan.「 一日一衣 」
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i a i / 居相 - Earth clothes - Based in mountain village / Japan.「 一日一衣 」

のべたら

タイトル | i a i / 居相 - Earth clothes - Based in mountain village / Japan.「 一日一衣 」

二〇二三年 二月 九日 黄鶯睍睆

万物の冬眠というときは人であれ

 

そのように過ごすことのほうが

 

健全であるかのように、冬籠りと

 

銘うって制作にはげみだすと身体に

 

不穏なものがあらわれる。

 

それは肉体をとおして、それは

 

心をとおしてなのだけれど

 

冬は過剰に外側にでてくる。

 

これは今にはじまったわけでもなく

 

心からしたいことに従順して

 

進行していても起きることだから、

 

いよいよ「のべたら」に事を

 

はこばせているだけでは、

 

その仕事ぶりでは、生き方では

 

よくないなあとなっている。

 

のべたらというのは、とぎれないで続くさま、切れ目なくだらだら続くさまをいうみたいで、

 

黒田夏子さんの本で出会った言葉

 

なのだけれどまさに日日心身に

 

感じていること。

 

節月や節目のようなその時がきたときを

 

察知して順風満帆な心身で迎えられるか。

 

今心にまっすぐでないことや

 

少しでもの違和感をおもいきりよく

 

切りはなして、そうしたことにも

 

気がすんでの静かな放心に

 

ひたされる春をまちわびている。

 

それにしても子供達の線は宇宙的というか

 

どこからうまれてきているんだろう

 

というような筆圧や字形や模様。

 

羨ましいなあ。

 

子供はこの線をごくあたりまえのように

 

脱ぎ捨て巣立っていくのだろうけれど、

 

僕は木にしがみつくようにこの線に執着していたい。

 

寄り添っていたい。

 

こんな宝物はどこをさがしてもみつからない。

 

大事に大事に引き出しにしまっている。

 

この草行にも記録していこう、この線たちを。

 

+

 

話しはもどってここまで七年の歳月で

 

ずいぶんと仕事の仕方も変わった。

 

自然とそうなっていった

 

ということが合っているけれど

 

展示後の身体の不調を気遣って、

 

心身の所在はどこなのかという

 

自答に添ってなきうみを創造してきた。

 

ここ三年程はろくに仕事に明け暮れず

 

住家に従順していたはずなのに、

 

作品展もせずに不調がつきまとうというのは

 

そういう星回りというか、ひ弱というか、

 

したたかな心身ではないということを

 

まずは自分で認めなければならない。

 

そしてそういう自身でさえも愛してやらなければ

 

僕という存在のスタートラインに立てないことは

 

重々にわかっている。

 

そこから広がるような閃きが

 

山ほどあることも感じていて

 

不調を兆すまえの

 

予防という観点から衣をとらえることや

 

医衣同源という役目から

 

人の精神をやわらげる作用を来すために

 

衣を創って作って手渡すという循環

 

だけではない促しが必ずあるように思っているし

 

その想像から枝分かれすることが多々ある。

 

その多々を心おきなくこころみれるのがなきうみの存在。

 

なきうみを通してどう発信できるのか、

 

そういう嬉しい妄想は冬の醍醐味なのかもしれない。

 

ひとまず今は内側の水源に寄せて歩くほかない。

 

あと、健康に気遣って散歩も忘れずに、

 

娘達を抱きしめるときにあふれる愛も

 

忘れないでいたいから、保育園から

 

帰ってきたらまずは抱きしめたい。