二〇二五年 三月 二十日 春分〔 二十四節気 〕 / 宵月〔 月 〕
布 : 大麻[ 湖東 ] 、 古布 [ 苧麻小絣 / 大正 ‐ 昭和 ]、多重針意匠[ 裏地 / 木綿 ]
手縫糸 : 苧麻績糸[ 福知山 ] 、天蚕糸[ 南但馬 ]
染 : 梅[ 生薬 ・ 鳥梅 ]
‐ 羽織 ‐
身丈 約 90 cm
身丈 約 95 cm
身幅 約 66 cm
裄丈 約 70 cm
袖元囲 約 36 cm
‐ 太紐 ‐
長さ 約 192 cm
幅 約 4 cm
¥ 62,000 + tax
からっぽの時間は、意思してつくりださなければほとんどない。めったにもたなくてすむから、できるだけ有用なほう、ほうへと身をむけているように感じていて、そのときの心のうごきかたは停滞して、単一的であることも知り得てきた。からっぽであることは、今居るところから、ずいぶんと「そこ」にあるのにみえていなかった風景や心に気づいてしまえる。前からここにいたんやなみたいなことって、不思議と多かったりする。歳をかさねるにつれてからっぽはどこだとさがすことをずいぶんとしている気がする。ずいぶんとできることはふえてきてしまって嬉しいのに、同じようにずいぶんと忘れてきてしまったことにかなしい。そうやって、芽吹いては、しぼんでを繰り返すことが生きているということなのだからとても健康なうきしずみとわかっていても、生きていると本当に色々な葛藤がある。こんなふうに葛藤しているのは、僕だけではないと思えるから少し楽になれるのは、心を寄せている著者の言葉だったりしてすくわれてはまた前を向ける。そうした葛藤を保持した僕の目には、娘たちが光ってみえる。その光たちは、どこまでも美しい。天と地を嗣(つ)ぐものとどこかで聞いたことがあったがまさにそのような存在たちに、教えなおしてもらっている。どうにかしてつかいはたしてしまいたがっている自分に問う。どんなふうに一日を暮らしたいかという単純なことに。どんな心なら、美しいと感じられる日がふえるかとか。さて、今日は春分だ。朝方、娘たちと回廊で太陽を浴びた。むずかしいことを考えるのはやめて、陽がさしはじめた大元に顔をむけて瞼をとじた。うすももいろのなかで小さな光がぱちぱちはじけている。僕はこの瞬間にどっ、と幸せが込み上げてきた。これがいい!こういう瞬間を人生でつみあげていきたいんだった。
使用した大麻布は、明治創業以来、近江上布機元の本場近江湖東産地で四代に渡り「麻」を継承される工場に、三代目が織られた経糸 / 亜麻、緯糸 / 大麻で織られた中幅(75㎝)のもの。目の詰まった感じといい、しゃりの質感はとても贅沢に織り込まれた印象。いい生地に出会えました。前身頃、首から胸元にかけて裏から庭の梅皮で淡く染めた木綿を多重針意匠で刺し、早春を浮かび上がらせた。襟付近は芯をいれているので形が立つ。接ぎ合わせの袖元と胴周りに古布の絣をほどこす。背には大襞が一つ、あばら付近に紐ループを付け、同素材で太紐を制作。前身頃が二重になっており、その片方のみに紐通し穴を糸でかがり付け、全体をしっかりと結いながらも抜け感がでました。ずれ止めで布包留め具を使用。女性着用ですが、小柄な男性でも十分着用できるサイズ感です。
心身ともにゆたかではれやかなこの日、春分の雰囲気に似つかわしい創作となりました。
ご縁がありましたら幸いです。