二〇二四年 十一月 二十二日 小雪〔 二十四節気 〕 / 下弦〔 月 〕
布 : 絹麻[ 湖東 ]、和紡(木綿)[ 遠州 ]、正絹組紐[ 古紐 / 伊賀 ]
手縫糸 : 大麻繊維[ 野州 ]、苧麻績糸[ 福知山 ]
染 : 柿渋[ 生薬 ・ 柿漆 ]、灰汁発酵建藍( 藍藝彩日 / 十回染 )[ 生薬 ・ 藍葉 ]
身長 160 cm [女性]
前身丈 約 120 cm
後身丈 約 125 cm
身幅 (脇下)約 56 cm
袖丈 約 54 cm
肩幅 約 33 cm
裄丈 約 68 cm
裾幅 約 118 cm
前垂布 約 100 cm
後垂布 約 78 cm
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この季節ならではの霞んだ早朝、朝霧が漂うほの暗いなかで身を揺らしながらそっと玄関の戸を開けて制作場へ向かう。立夏前からこういう姿勢で創作に没頭してきた。朝方に布の裁断を終えたり、針をすすめたい時はそのようにして、昨日の手工の続きから寝ぼけた力みのなさその力加減でミシンを踏み、子供の寝顔を見てもうひと眠りしたい時は心のままそのままで。暮らしを ” なきうみ” という響きをもった土地に移してから初めての創作物が並んだ kankakari [ カンカカリ ] での光景に心は富まされ、充足感をともなった手で冬に移行する雰囲気に包まれながら衣の制作を再開しました。見るもの、触れるもの、心をうごかすもの、身をうごかすもの、授かったもの、なだらかで穏やかなもの、ゆたかなもの、生きることで生じるさまざまな感動の根に触れての暮らし、自ずからの言葉や文字、好ましい時間の持続の中から生まれる初元の形が創作へとつながっていくことを実感します。
琵琶湖の東方地域、愛荘町周辺の湖東産地で織られた経糸/亜麻、緯糸/絹 の絹麻布は程よい厚みと柔らかさ。首元と袖を貫頭衣形に縫い、小幅と長さをそのまま活かして脇を縫わず途中まで制作。鹿沼の野州でご縁があった大麻繊維を太めに規則性なく縫い付けて、繊維と手縫いの施しを布に馴染ませたいために和束町(京都)の柿渋に二度浸す。古布の酒袋の刺子と染色を繰り返した加減で現れた質感が好きで、試みる。鉄媒染のちに、岡山山地の民家で灰汁発酵建て藍染をされている ” 藍藝彩日 ” による手染。藍に十回浸け込まれた濃藍は下地の柿渋と相まって青みがかった漆黒色へと粧われて、陽があたると微光沢を発し、シャリとした麻本来の質感を帯びた。経年で使い込むごとに元の絹の柔らかさも合わせ持ったものに変化してくると思います。
染め上がった制作途中の貫頭衣形はすぐに取り掛かることなく制作場に吊るす竹に掛けておいた。見るともなしに見ては次の一手を考えてはいたが個展を終え、冬に向かって暮らしの事を整え始めると古層から水が湧くように自然に手に取って縫い出させた。四年前に尾州で和紡 ( ガラ紡 )の工程を見せて頂いたことから和紡布の存在を知り、遠州に向かった先で偶然細番手で織られた黒色反応 ( 化学 ) 染料の和紡布に出会ったので連れて帰ってきたまま大切に棚にしまっておいた布を合わせてみたら相性が良くすぐに裁断に取り掛かる。身頃の上部は草木染料、下部は反応染料という組み合わせも明治期以前では出会いもしないものが今は手に取りあえ衣というひとところに。まさに輪廻してきた流れの先の光景を僕は見て触れている。このことに歓んでいたいし、自身の心が動いたものには正直に手を差しのべたい。貫頭衣形で前身頃、後身頃で垂らしておいた布はそのまま端処理をして下部は古布の手績苧麻で包む。脇の位置を先に決めて逆算で袖口まで縫い上げ、袖口はミミのふさふさを意匠にのこす。胴体を一周するように広幅を二枚継いだ和紡を、両側面に小襞をよって縫い納める。中心の前後身頃の裾は20cm程の切り込みがあり歩幅が窮屈でないと思います。制作途上に福知山に住んでいた時に採取した苧麻の績糸を感覚的に縫い付けているので黒とのコントラストを、また洗濯するごとに上部は徐々に青みの強い黒に変化することも合わせてお楽しみ下さい。
個展では会期中全作品に平等に皆さまに袖を通して頂けるように応募性であったため、kankakariでの公平な抽選結果によってはわざわざ足をお運び頂いたにもかかわらず今回は衣とご縁がなかった方々も沢山お見受けされました。応募数は多ければ一着に十人以上、総数百人以上と見たこともない数字のご応募を頂き身に沁みる想いです。そういった日本各地からお越し頂いた方々が少しでも i a i /居相 の衣と接点をもって頂けるように年内は一日一衣に尽力致します。web表現は、いつでも、どこにいても見て楽しんで頂けることが魅力的です。生活の合間の息抜きに、是非とも一日一衣をご活用下さいませ。
一点物の衣、どうぞご縁がありましたら幸いです。