二〇二二年 葉月 新月
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自家栽培畑藍
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畑の由良川藍(蓼)を蒅に
仕込んで自家製の藍。
灰汁は長年溜め込んだ薪釜染色の灰。
青の鼓動や揺らぎは本当に落ち着く。
娘達は、藍の発酵臭や手が青く染まる瞬間、青に映りこむ顔をどんな風に受け取ってるんだろう。
ぼくにとってはこの青は自身の一部、
もはや自分自身と思えてならないのはなんでだろう。
同じ風土で呼吸し、同じ生活風景を体感してはぐくまれたからということは大きいだろうなぁ。畑で育った藍で染められるという真っすぐな行き届きが本当に何物にも変えがたく、ぼくの心に流れている。
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泥藍生成 / 由良川藍 (蓼)
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攪拌のひとときに現れる翡翠。
蒅の次は、泥藍から発酵建てへ。
琉球に比べれば含有量で劣る蓼も
体感してその文献や研究を全身で
記憶して、郷土の藍建てが育つ
感覚を得たい。
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生葉発酵煮染 ( 生葉藍 )
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藍の生成に赤色素がある。
青という脈動と共存する赤に想いを馳せたのは、個体差あれど藍葉の先端が赤味を帯びていたり、布を生葉で染色した瞬間から得られた翡翠や白群色に点在する紫を発見してから。身をもって生まれた疑問はやがて好奇心になり未知との遭遇への高揚が日々に流れる。
今であれ蒅や泥藍という神秘的効率が周知されているが古代人であれば青が生まれる草を摺り、叩き、煮て抽出するということを先ずは行うのだろうから、昔から当たり前のように知られていたのだろう。
表層の固定化が僕の中にも沢山在る。
藍はこうだろうとか。
けれどひと時の身にしむような紫を見せられた瞬間から、天然や事象に身をあけわたすことや手放しが本当の意味で今の呼吸に必要だと体感から源流のたましいを震わせくる。
生きている身をしみじみと歓びたいように麗かな、仄白くゆたかな夏の景色をみている。