二〇二二年 水無月 満月
歩くことが習慣となっている僕の心は、
季節から吹いた草や飛来したての鳥のうたに
ただ耳と眼を澄ませて、只々歩行している。
なんて心地よい世界だろうと思う。
その時摘みとった草花を
布に含ませることをやりはじめたのは、
季節の機微を自分なりの視点で愛でるために。
そうして一つ一つの生態を調べていると
生薬 ( 木薬 ) という天然物由来の素材に行き着く。
精製せずに、乾燥、抽出、蒸留などの簡素な操作をくわえて薬にする植物がこんなにも身近に、
そして多くを染料にしていたことに今頃気づかされた。
染色は色彩を獲得するためからではなく
古代人は精霊 (木霊)の宿る草木を
祈念と薬効を求めて染色していたという。
そのことと、僕の内側に在った薬草の知識欲求や
救急救命士を志していた当時の僕が、
点と点で結ばった出来事だった。
人を癒したい、治したいという心がかさなった瞬間。
それを衣で体現できるという可能性。
草木から美しい色彩が生まれその色と心が調合されて
身体の栄養になることも素晴らしい。
けれども今一度 ” 草木根皮 “の本来の
その性質を布に含めた医食同源ならぬ、
医衣同源になりうるということが
今後の染色精神に大いなるものをもたらすのだろうと思う。